東京高等裁判所 昭和29年(う)973号 判決
被告人 市川義貞
〔抄 録〕
弁護人の控訴趣意第一点について。
しかし原判示第一記載の日時場所において窃盗の目的で生糸を物色中原判示守衛利根川信治に逮捕され次いで同人から松山地区警察署司法巡査藤井詮憲外一名に引き渡され更に同巡査等から同署同司法警察員警部補吉田道雄に引き渡され翌九日司法警察員巡査部長小林七三により小川区検察庁検察官に送致された者が被告人自身であり他の何人でもないことは被告人の原審公判廷における供述、利根川信治作成の上申書、司法巡査藤井詮憲同中覚作成の現行犯人逮捕手続書等により極めて明白であり、また被告人の原審公判廷における自白を補強する証拠として叙上の各証拠書類を引用し、もつて原判示第一の事実を認定することはなんら採証の法則に違反するところはなくまた刑事訴訟法第三百十九条に違反するところもない。なるほど前記各証拠書類には被告人市川義貞の表示はなく栗原福太郎と表示されていることは所論の如くであるけれども右の各書類は原審公判廷において被告人はなんらの異議をも留めず証拠とすることに同意したものであり且つ本件記録添附の身元取調書、身元照会書(二通)等によれば栗原福太郎というのは被告人の偽名であることは明白であるから、仮令現行犯人逮捕手続書に被告人の本名が記載せられず偽名が記載されているからとて右書類の証拠能力にはなんらの影響をも及ぼすものではないから原判決には所論の如き理由不備あるいは理由のくいちがいの違法はない。なお現行犯人逮捕手続書には栗原福太郎とあるのに勾留状には市川義貞と記載されておることは所論の如くであるけれども前段の如く栗原というのは被告人市川の偽名に過ぎず前記現行犯人逮捕手続書並びに本件記録編綴の昭和二十九年二月八日附被告人の司法警察員に対する供述調書によれば被告人は昭和二十九年二月八日午前三時頃原判示場所において前記藤井巡査等によつて逮捕された際には栗原福太郎という偽名を用いたが同日松山地区警察署において同署司法警察員小林七三の取調を受けるにあたつては市川義貞という本名を用いるに至つたものと認められ同月九日小川簡易裁判所に対する勾留状の請求はすでに本名によりなされたものと認めるに十分であるから本件勾留手続には所論の如き法令の違反はない。それゆえ論旨は理由がない。